新年あけましておめでとう御座います こちら浜松市の今年のお正月は全て晴天に恵まれ穏やかなお正月を迎えることが出来ました。しかしながら、我が家は孫軍団が終結しドタバタですっかり普段の生活リズムを崩された正月でした。 そんな中、昔 私二人の子供に 「ポケバイ」 を運転させた頃の再現、つまり「二人の孫に」ポケバイ運転で楽しい一日を過ごしたのです。 それは 「30年前の再現」になりました,つまり自分の子供達に30年前に同じ事をしていた同じ年頃です。 ● 孫軍団が帰宅し、やっと普段の生活リズムを取り戻したおじいちゃんとおばあちゃんでした ● 当時の私のバイク: 独特のエンジン振動とコンチ・マフラーから吐き出される快音はまさに名車 ドカティです ▲ DUCATY 900 SS → 昔バイク仲間と温泉一泊ツーリング、色々なハプニングなど思い出は尽きません ・・・ 今は友人の所で動体保存されています 2009.3.8 : 整備 春らしい陽気のよい天気に恵まれた某日、愛車の手入れを入念に ・・・ ワックス掛けは久しぶり、やはりかなり塗装面に細かなキズが目立つ。ワックスを厚めに、また見えぬ錆やすい隅の部分も入念にワックスを。そしてニュージーランドから来た 240RS オーナーのMr.NCから頂いた 当時物本物ステッカーを 惜しげなく? 張り付けました ・・・ そんな一日でした。
240RS のエンジン FJ24 の部品は既に製造中止の為、部品取り寄せは不可能。特に困るのはエンジンの部品だが … しかし、なんとかなるものだ ! この部品は FJ24 クランクシャフトのメタルです。このメタルが焼付いたりヘタリがでると重症で当然交換となる。先日やっとの事で入手したメタルは最悪の事態に備えて大切に保管されたのは言うまでも無い。 2009.5.6 : タイヤ交換 愛車のジャダー(フロントのバタツキ)はまだ原因が掴めず状態 ・・・ 広げすぎたフロントのトレッドを出来る限り小さくしてフロントの負荷を軽減させるべく、まずフロントタイヤ幅を 225 → 205に変更 Sタイヤで排水性が良さそうなトレッドパターンの POTENZA RE11Sをチョイス、ホイールのオフセット(実際はスペーサー調整)は 5mm X 2 = 10mmトレッドを狭くした。その結果ダンパーとタイヤサイドのクリアランスは3~4mmの限界である。タイヤ幅の減少とフロントトレッドの減少でどれだけの効果があるのか? おそらく気休めにしかならないだろう。 ・・・ この結果は 5/23 の飛騨高山のヒストリック・ヒルクライムで分ることになる。
2009年 5月23日土曜日開催 飛騨高山のヒストリック・アルペンカップ ヒルクライム(ターマック)のイベントに 240RS 軍団参加依頼が主催者(M.C.S.C)から届いた。 昨年 10月同じく飛騨高山で開催された全日本ラリー選手権のヒストリックカーのデモランと同じステージである。 快晴の清々しい天候に恵まれ、主催者側のご努力でほぼ予定どおり進行。クラス A B C の3クラス化された各車両は快音を残しアタック開始 ・・・ A氏撮影 ● 今回は シルビアクラブから 10台、内 240RS3台が参加した。 シルビアクラブ員の集会を兼ねたイベントなのだ。 当日は見慣れた顔の方が沢山参加、前回お会いしたBMW軍団とも再会、相変わらず小気味よい走りで絶好調の様子。 南は福岡県から自走参加! ・・・ヒストリック参加車両は合計 28台となった。 ヒルクライム スタンバイの 240RS ● ヒストリックの結果 : 優勝クラス A スバル1300Gスポーツ・ B 日産Be-1・ C ランサー1800GSR で 結果的に小ボディ車両が早かった ・・・ 狭くカーブが多く且つストレートがほとんど無い 5.3kmコースに皆さん手こずったようだ ・・・ 私の場合も同様 240RSの重いハンドルでは腕の筋肉が落ち,且つ後遺症の右腕マヒ状態のお爺ちゃんには大変、パワーステが本気で欲しくなる。2回のアタック完走を果たした息切れ状態のお爺ちゃんドライバーのタイムはこんなもんでしょう。こんなお爺ちゃんのナビを引き受けて頂いた Arakawa氏に感謝です。
● シルビアUS110クラブからの出走結果 : 10台の内 3台がリタイヤ! 電気系統トラブル1台・冷却系トラブル1台・エンジントラブル1台 ・・・ ▲ この 240RS 2台は ヒルクライム完走 (新旧ワークスカラーが並ぶのも珍しい)
去る5月6日に Fタイヤ幅を狭くし、且つトレッド寸法を出来る限り小さくする対策を実施した。その結果は 5月23日の飛騨・高山のヒストリック・ヒルクライムで試される事になった。思い切りアクセルを踏み込んだりフルプレーキングが出来る快晴の高山でのヒルクライム・イベントは 5.3kmのカーブが多く且つ狭い林道ターマックである。レキ走行と本番2回のタイムアタック ・・・ その結果 ジャダが止まった !! 嘘のようにジャダが止まり コーナー進入時の怖々ブレーキングは不要となり思い切った進入が出来る ・・・ となると、一番大きな原因は広すぎてグリップの良すぎるタイヤとトレッド寸法拡大のようだ。この結果が判明しただけでも高山のヒストリック・ヒルクライムへ参加した意味があった。 ▲ 高山ヒルクライムのギャラリーステージの My 240RS ・・・ ブレーキングもまずまずだ !
先日、静岡県磐田市のヤマハコミュニケーションプラザ見学の機会ありヤマハバイクの歴史にふれてみた。 そこには 青春時代に強烈な印象を残してくれた当時私が乗っていたバイク展示があり少し興奮気味のひと時でした。
● むかし話のついで ・・・ 長い事バイクで青春時代を過ごし 最初に購入した乗用車が これです ・・・ !!
● 更にむかし話のついで ・・・ 横浜に住んでいた私の青春時代は,ボウリングが流行していて夢中になりました。 この写真は実業団対抗ボウリング、つまり会社対抗戦という年間のトーナメントに会社のAチームとして参戦していた頃の写真です。 1972年 300点を達成し、第一号パーフェクトポウラーとして某ボウリング場の月刊誌に掲載された時の写真です、しかし若かったナァ~
梅雨時の合間に実施された「ハチマルミーティング 浜名湖 2009」は真夏の太陽にさらされ火傷に近い日焼け状態 ・・・ そんな中 クラブUS110(シルビア・ガセール)軍団の中に 240RS が 5台参加 ・・・ いずれの車両も綺麗に磨かれ絶好調? ・・・ で参加です。 ▲ 磨き上げられ 負けず劣らずの クラブ員US110の車両軍 ・・・ 記念撮影整列準備中です ▲ 整列したクラブ員の愛車軍団 ・・・ ▲ 車も人も 暑い 暑い ・・・ ▲ お宝の放出 ・・・ 格安譲渡です これも楽しみの内です ▲ 240RS軍団 この後、Chassis No.000075の 240RS が参加 ・・・ 一時的に 6台の 240RS になりました ● おまけの出来ごと ・・・ 当日、240RS オーナーに 積極的 いや なかば強引に 240RS に乗りたい、運転したい ・・・ と言うお嬢さんが ! おジイちゃん 240RS はタジタジ ・・・ MA26RA 240RS オーナーにふったら なんとハンドルを握らせることになった ・・・ 長いこと 240RS を所有しているが さすがに初対面のミニスカートの若い女性に 240RS をドライブさせるのは見た記憶がない ! ・・・ そして このお嬢さん Gr.B 240RS の左ハンドルを ・・・ さすがにハイヒールサンダルはぬいて素足の運転となりました! 簡単には乗れるチャンスが少ない Gr.B 240RS のフィーリングはさぞかし印象的であったに違い無い ・・・ そうですネ お嬢~さん ??? → 240RS に乗ってみての感想は「とにかく感激!」 ・・・ だったそうてす。
晴天の浜名湖で ダットサン「Zの父」片山豊氏 100歳を祝う & フェアレディZ 誕生から40年 のイベントが開催された。 日産の大イベント、また私的には地元でもあり 当然愛車 240RS で駆けつけた。 ナントそこで 私の愛車 240RS の初期オーナーである ENKEI の Suzuki 社長とバッタリお会いしたのだ。話が弾むにつれて 240RS へ乗る事になった! ENKEI President Mr.Suzuki → ENKEI の Suzuki 社長が 240RS に乗るのは 25年ぶりとなる。 行動派の Mr.Suzuki はこの 240RS がよく似合う ・・・ そして 小気味良い排気音を残して ・・・ ドライブ後の一言 "エンジンパワーは昔と変わっていない" ・・・ と、嬉しいお言葉。 そして次のドライバーは あらゆる車を知っている CAR GRAPHICの Michida氏である、 そして、一言 "男の乗る車だ" ・・・
更に お忙し合間を頂き フェアレデイZ の父 Mr.K 片山豊氏との記念撮影に至ったのです。そんな訳で大変有意義なひと時を過ごす事ができました、ありがとう御座いました。
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