TARGA TASMANIA Rally Report

かつて日産が WRC Rally 連覇目的で 1983年に戦闘兵器として送り出した グループB 日産 240RS。
240RS は WRC 参戦の為のグループ B規定の 200台以上の生産条件をクリアーし、グループB のホモロゲーション取得に至った。
その 240RS が再び
FIA(国際自動車連盟:Federation International de I'Auto mobile)国際格式競技であるタルガタスマニアラリーに参戦
 ・・・ その愛車 240RS 参戦レポートです。

タルガタスマニアラリーはオーストラリアの南に位置するタスマニア島で毎年開催され、北海道をすこし小さくした様な自然豊かな美しい島だ。
その島をほぼ全域 5日間移動しながら 約 2000km の高速ターマックラリーである。

Index Result note
TARGA TASMANIA RALLY Report 2001 Complete running
TARGA TASMANIA RALLY Report 2002 2nd place of a class Revised - 3.December.2002
TARGA TASMANIA RALLY Report 2004 3rd place of a class Revised - 10.May.2004
TARGA TASMANIA RALLY Report 2006 2nd place of a class Revised - 6.May.2006

2001 TARGA TASMANIA Rally Report
The 10th ANNIVERSARY
Revised - 2004.1.28
    
2001 TARGA TASMANIA RALLY  

遂に夢の実現だ ! ・・・ タルガタスマニアラリー は オールターマックのハイスピードRallyとして知られ 特に山岳路は変化に富み雨や地質、カマボコ路面に過去多くの強者が挑戦しているがクラッシュシーンは後を絶たず,今回も多くの貴重な愛車を飲込んでいる。又,ゴールする多くの競技車も損傷し痛々しい。
今回 バイクレーサーでありチャンピオンであった Mr.Mick Doohanは Benz CLK55で初挑戦であったが3日目に腹を上にした派手なクラッシュでリタイヤ。この様にタルガタスマニアラリー は大変厳しく完走することの意味は大変大きなものがある。

         

今回のTARGA TASMANIA Rallyは「10周年記念イベント」であり 1日間多い6日間 約2,300kmのRallyとなっている。各国からの参加車合計 253 台となる
ちなみに 愛車 240RS は Category 7 (1982-1990)でナンバープレートは
 T01 705 ・・・ である

メルボルンで仮車検を受けフェリーでタスマニア島へ上陸する。書類審査、ヘルメット審査などを受けた後このRally だけのナンバープレートを受け取る。このナンバープレートは車番と同じ番号となっていて Rally終了後は記念として持ち帰ることが出来る。そして本車検を受けて合格となるが全てFIAに準拠した厳しいチェックが行われる。
翌日は終日ブリーフィングで通訳を介し一通りの安全規則、事故発生時の対処方法などを受講する。
いよいよ明日から本番 ・・・


Prologue  4月17日(雨)


Prologue to George Town

Leg - 1

Ross toun Jump



Navigator Mr.Ohno

初日は雨!
ジョージタウンの住宅街を閉鎖してタイム測定のプロローグである。
このタイム結果により翌日からのRallyスタート順番が決定される。
雨の逆バンク コーナー立ちあがり加速で
痛恨のスピン、タイムロス,スタート順番は47番に決まる。
ちなみに同行した ヨタハチ(TOYOTA SPORT 800)の川崎車は エンジン オーバーホール後の慣らし不充分がたたって ? クランクシャフトのメタルがNG → 徹夜でエンジンオーバーホール、翌日の Leg-1 は間に合わず欠場
Leg - 1 4月18日(晴)

山岳ウエット路面の狭いカーブで
ハーフスピン、左フロントを土手にヒット・・・この位のアクシデントは当初から予測していた事だ。しかし気負い過ぎる走りに反省。
日本組の藤原車(HONDA NSX-R)コースアウトで湿地帯へ落下,サスペンション大破と肋骨の痛みで病院へ
Leg - 2 4月19日(晴)

初挑戦,レッキ無し,ペースノート無しではコーナーのアールや路面情報など不可能。ナビゲーター本来のコントロール指示は無理で道を間違えないのがやっとの状態、ドライバーが目で見て都度判断するので当然タイムロスの積み重ねになる。

藤原車NSXはサスペンション部品待ちと組立て作業で Leg-2 欠
Leg - 3 4月20日(晴)

快調だったエンジンがTARGAステージ途中でストップ!
原因は発電機故障 ・・・ 過充電によるバッテリー液沸騰!蓄電力低下にともなう燃料ポンプ作動不良のガソリン供給不足の状態。なんとかだましながらステージをクリアーしバッテリー購入するも電圧消費にともない同じ現象発生。この時、古いバッテリーをたまたま積み込んでいたのが幸いしバッテリー交換しその日はやっとクリアー。夜メカニックの努力によりサニーの中古発電機を探し出し取付け。
藤原車肋骨の痛みを抱えてのRally復帰 … !
川崎車はドラムブレーキの馴染みが悪くブレーキングに苦慮するも善戦中
Leg - 4 4月21日 (晴)

サニーの
発電機能力不足が同様のエンジン不調トラブル発生。放電を押さえる走りに切り替え1日を走りきるが電気系不調は消えず。先日の故障した発電機のコイルを巻き直すことを決定し翌日の夜取付けることを決定。
川崎車コースアウト! 
既にコースアウトした競技車の横へポールをなぎ倒し突入!草地に軟着陸しそのまま迂回してコースへ復帰 ・・・ 間一髪の出来事
Leg - 5 4月22日 (晴)

前日からの電気トラブルの影響から点火時期調整プラグ交換などで
エンジン高回転不調。セルモーター配線断線でエンジン掛からず,押しかけ ・・・ これもメカニックの修理で解決
Leg - 6 4月23日(雨) Goal

最終日 :
雨の中激しい戦いによる負傷車がカジノホテルへ続々と帰還し一台一台紹介され多くの人の祝福を受ける事になる。
ゴールした帰還車には名誉ある ゴールド メタルを首から下げていただく訳であるがその興奮は大変なもの,感動を通り越し
「走りきった ヤッター …」と言う気持ちで一杯である。 さらに ゴールで待っていた友人の祝福ワインの味は 一生忘れることが出来なくなった
                  Goal !
 
ちなみに順位は Category7 クラス 12位 総合順位 71位  常連の小林車スカイラインGTRは 総合順位14位だった


 《 考 察 》
電気系統トラブルに振り回された訳だが 1983 年 DATSUN 240RS がゴールまで走りきった功労者は冷静なナビゲーター Mr.Ohnoと優秀なメカニックで有ったのは言うまでもない。日本では部品交換が当たり前,部品がなければ駄目 … という昨今の風潮であるがニュージーランドから来てくれた2名のメカニックは走る為には工夫してやり遂げると言う人間本来の姿を目の前で実行してくれた,ここで改めて感謝したい。

愛車 240RS がタスマニア島のほぼ全域を走り回ったのであるが 20年ぶりのFIA格式の檜舞台で見る 240RS は生き々とし,また一気にストレスを発散した走りに 240RS 自身も満足したと思うとオーナーとしても嬉しい。
そして 各地での暖かい歓迎,手を振るお婆ちゃんやおじいちゃんと子供たちには 力一杯手を振ってお返しする。この様な住民の理解無くては無し得ぬイベントである。「来年は帰って来るのか ?」 … と言うコンペティターの問いかけに 既に次のセッティングを模索している。
                                           
(PD誌掲載 記 2001.5.15 R.Hibino


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